コラム

第15回 対話こそが共生社会を開く鍵

共生社会の足音

弁護士 大胡田 誠

月刊『視覚障害』2016年6月号掲載

1.はじめに

障害者差別解消法が施行され、企業や障害者団体でこの法律について話す機会が何度かあった。

そんなときによく感じることがある。それは、民間事業者の側には、この法律によって、いわば「モンスター障害者」とでもいうような強硬な障害者が無理を強いてきて、通常業務が混乱してしまうのではないかということについての恐れがあること、他方、障害者側には「法律ができたとしても、どうせ社会は変わらない」というあきらめにも似た思いがあるということだ。

このような意識の食い違いがあるうちは、障害者と健常者の間にある溝は埋まらないように思う。この法律を本当に生かしていくもの、「仏」に魂を入れるものは、個々の障害者と健常者の間の対話以外にはないと私は考えている。

2.差別を解消するための2本柱

障害者差別解消法では、差別を解消するための大きな柱がふたつ定められている。

1本目の柱は、国などの行政機関と民間事業者に対し、障害者に対する不当な差別的取扱いを禁止すること。2本目の柱は、国などの行政機関には法的義務として、民間事業者には努力義務として、障害者に対し「合理的配慮」を提供することを求めていることである。以下、それぞれの柱について説明したいと思う。

3.不当な差別的取り扱いの禁止について

障害者差別解消法は、行政機関や民間事業者を対象とし「障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすること」を禁止している(同法7条1項、8条1項)。

そして、ここにいう障害者に対する不当な差別的取り扱いとは、内閣府が示した基本方針によれば、障害者に対して、「正当な理由」なく、(1)障害を理由として、財・サービスや各種機会の提供を拒否すること、(2)提供に当たって場所・時間帯などを制限すること、(3)障害者でない者に対しては付さない条件を付けることなどにより、障害者の権利利益を侵害することだとされている。

ここで、ポイントとなるのが、「正当な理由」というところである。障害者を区別したり、サービスの提供を拒否したとしても、その区別や拒否に「正当な理由」があれば、不当な差別的取り扱いにはならないが、「正当な理由」なく障害者を区別したり、サービスの提供を拒否したりすると、それは法律で禁止されている不当な差別的取り扱いだとされるのである。

では、どのような場合に、「正当な理由」があるといえるのかというと、基本方針では、客観的に見て目的が正当で、区別や拒否をすることがその目的に照らしてやむを得ないといえる場合が、「正当な理由」のある場合だとなっている。すなわち、偏見や思い込みによって障害者を健常者と区別したり、サービスの提供を拒否したりすることは法律違反だが、誰が見ても障害者を区別したり、サービスの提供を拒否したりすることがやむを得ないといえるような場合には、そのような扱いも許されるとされているのである。

たとえば、私はかつて、「火事を出したら危ないから」といわれて学生寮に入れてもらえなかったり、「盲導犬は入店できません」と言われて、盲導犬を連れている妻と一緒にコーヒーショップに入るのを拒否されたことがあった。

このような区別や拒否の背景には、「視覚障害者がガスレンジなどを使ったら火事を起こすかもしれない」とか、「盲導犬が店に入ったら衛生的に問題があるに違いない」という意識があるのだと思う。しかし、実際のところ、視覚障害者は目の見える人よりも火事を起こす危険性が高いという実証的なデータはないし、盲導犬は、ユーザーが注意して常にケアをしているので、場合によっては不潔な人間よりもむしろ衛生的なくらいである。そうすると、このような区別や拒否には、「正当な理由」がないので、障害者に対する不当な差別的取り扱いであるということになる。障害者差別解消法では、このように、思い込みや偏見に基づいて障害者を区別したり、サービスの提供などを拒否してはいけないとされたのである。

もっとも、障害者を区別したり拒否したりする場合、健常者の側には、それが思い込みや偏見に基づくものだと気づかない場合がある。ここで、重要になってくるのが障害者と障害のない人の間の対話だ。障害者は粘り強く、自分のできることとできないことについて、伝える努力を重ねなければならないし、一方、健常者も、対話を通じて、自分の心の中に思い込みや偏見がないか、もう一度考えてみることが必要なのではないか。

4.合理的配慮の提供義務について

障害者差別解消法では、差別を解消するための措置のもうひとつの柱として、国や地方公共団体などの行政機関と民間事業者に対し、障害者が求めた場合、これに対応して合理的配慮を提供すべきことを定めている(同法7条2項、8条2項)。

ここにいう合理的配慮とは、内閣府の示すQ&Aによれば「障害のある方が日常生活や社会生活で受けるさまざまな制限をもたらす原因となる社会的障壁を取り除くために、障害のある方に対し、個別の状況に応じて行なわれる配慮」をいうとされ、その具体例として、「車いすの方が乗り物に乗る時に手助けをすることや、窓口で障害のある方の障害の特性に応じたコミュニケーション手段(筆談、読み上げなど)で対応することなど」が挙げられている。

合理的配慮を理解するためには、合理的配慮とバリアフリーの概念を整理し理解しておくことが有効である。

駅などの公共交通機関、ホテルや劇場などの公共的施設にエレベーターや点字ブロックなどを設置するバリアフリー、アクセスしやすいホームページの整備などは、不特定多数の障害者や高齢者の利便性を高めるために行なわれるものであり、障害者からの求めの有無によらず、いわば社会のインフラ整備として行なわなければならないことである。これは、障害者差別解消法の中では、「社会的障壁の除去の実施についての必要かつ合理的な配慮に関する環境の整備」(同法5条)という位置づけがされ、行政機関や民間事業者の努力義務とされている。

これらのバリアフリーや情報アクセシビリティー確保の取り組みによって、できる限り条件整備を行ない、それでもまだ残る不便を取り除くため、個々の障害者の申出によって提供されるのが合理的配慮である。合理的配慮は、バリアフリーや情報アクセシビリティーの取り組みと異なり、障害者による求めがあった場合に、行政機関や民間事業者にはじめて提供義務が生じるもので、ここでは対話が重要になってくる。合理的配慮を上手に使うためには、障害者は、自分の障害について自分自身がきちんと理解し、どのような配慮があれば何ができるのか、自分は何がしたいのかを、健常者にもわかりやすく伝える方法を身につける必要があるのである。

5.終わりに

子どもの頃、友人と砂山の両端から穴を掘り始め、2人で小さなトンネルを貫通させるという遊びをしたことがある。

社会に存在する様々なバリアが「砂山」だとすれば、バリアを解消していくためには、この砂山遊びのように、障害者の側からも健常者の側からも、お互いに少しずつ努力して歩み寄り、1本のトンネルを貫通させる営みが必要なのではないか。障害者の側は、きちんと、自分が不便に感じていることを健常者にもわかりやすい言葉で伝える努力が求められるし、民間事業者は障害者を不必要に恐れずに、その語りかけに真摯に耳を傾けてほしい。なかなか一朝一夕には行かないが、そのような対話によって、お互いの意識の溝を埋めていくことでしか社会は変わっていかないのではないか、私はそのように思っている。