北欧旅行記~全盲弁護士が見た、北欧のインクルーシブ教育~
9月9日から18日まで、スウェーデンとノルウェーを訪問し、これらの国々における障害のある子どもの教育制度を調査してきました。
誰もが社会の一員として尊重されなければならないという北欧の考え方は、日本の教育を考えるうえでも私に多くの示唆を与えてくれました。
ぜひ旅行記をお読みください。
1 はじめに
北欧と聞くと皆さんは何を思い浮かべるだろうか。近年では、日本でもIKEAの家具、H&Mの洋服など北欧発のブランドは人気があり、オーロラやフィヨルドなどの大自然は有名だろう。
実は、北欧は、教育の分野においては、インクルーシブ教育(障害のある子どもも地域の普通の学校で学ぶ教育)に力を入れてきた地域でもある。
先月、私は、障害者問題に関心を持つ弁護士の仲間たちと、北欧のインクルーシブ教育を学ぶ7泊10日のツアーに参加した。
今回はこのツアーの模様をレポートしてみたい。
2 9月10日(日)
現地の午前7時30分、日本からは乗り換えも含めて15時間でスウェーデンのイェーテボリ空港に到着した。イェーテボリは薄曇りで時折霧雨が降る天候。肌寒く、空気には湿気を感じる。当地ではほとんど現金が使われておらず、市内に向かうバスにもクレジットカードをタッチして乗る。
ショッピングモールでトイレに行くと有料である(10クローナ)。ここでもトイレの入り口にクレジットカードをタッチする端末がある。中は男女が分かれておらず通路の左右に個室が並んでいる。ちなみに、今回訪れたスウェーデンとノルウェイでは、男性用のトイレも個室になっているところが少なくなかった。このあたりにも個人を尊重する北欧の思想が反映しているのかもしれない。
イェーテボリの町並みは車はさほど多くなく、トラムという路面電車の路線が充実している。
数はとても少ないが音響式信号機もある。信号機の柱部分に押しボタンの箱くらいの大きさのスピーカーが付いており、赤の時は「コンコンコン」という音、青になると「カカカカカ」という断続的な音がして信号機の色を教えてくれる。
駅前の横断歩道には点字ブロックのようなものがあるが、色は黄色ではなく、周囲の歩道と同系色だそうだ。
3 9月11日(月)
午前中は曇り、午後には日差しも出る。ジャケットとネクタイでちょうどよい気候である。
イェーテボリ市の隣にあるムーンダール市のラッカレベック学校という小学校に向かう。
同校は、6歳のプリスクールと、1年生から6年生までの子どもたちが通う学校で、児童は全校で570人とのこと。直接会うことはできなかったが、児童の中には、発達障害、ダウン症、脳性麻痺、弱視等の子どもたちもいるとのことである。
興味深いのは、同校には、通常のクラスで通常のカリキュラムの授業を受ける障害のある子ども、通常のクラスで特別支援学校のカリキュラムで学ぶ子ども、特別支援学級で通常のカリキュラムを学ぶ子どもがいるとのことで、このあたりにも、制度に子どもを合わせるのではなく、それぞれの子どもに合ったカリキュラムを、希望する場所で学べるという考えが貫かれている。
1クラスは20名から25名で日本よりも小規模。また、各クラスの教室には、必ず6人程度で会議ができる小部屋がついている。
午後は、リハビリテーションセンターという施設を訪問する。リハビリテーションは、社会復帰の意味合いが強いが、当地では、もともと障害者は社会に含まれているのでリハビリテーションという言葉を使うようだ。
ここは、障害のある子どもや大人に対して、医療や福祉の関係者が連携して支援を行うためのセンターである。様々な専門職がかかわり、訓練、器具の選定など、福祉的支援を行う。
当地では、障害のある子どもが通常の学校に通うため、訓練、器具の選定、家庭のサポートなど、日本では特別支援学校の先生たちが行っているサポートの多くをリハビリテーションセンターが行っているようだ。
4 9月12日(火)
午前は、イェーテボリ市立のカナベック特別学校(聴覚障害の子どもたちの学校)を訪問する。
当地では、基本的に視覚障害、肢体不自由、病弱の子どもは一般の学校に通うが、聴覚障害のある子どもたちの学校と、知的障害のある子どもたちの学校は残っている。
説明によれば、同校では完全に手話を使って教育を受けられるが、地域の学校では、手話で教育を受ける権利はあるが、予算などの都合により、手話が完全に保障されない場合もあるとのことだ。
盲聾の子どものためには、触る手話に加えて、背中に机の絵とどこに人が座っているなどを描き状況を伝える特殊なコミュニケーション手段が使われていた。
ところで、スウェーデンでは、手話は言語として認められており、一般の学校で、外国語を学ぶ代わりに手話を学ぶということもできるとのことである。
午後はオーグレンスカ・リソースセンターという施設を見学する。
ここは、障害のある子どもと親が滞在して親が障害について学ぶプログラムを提供したり、子どもの夏のキャンプを提供したり、週末にショートステイをしたりする施設で、財団が運営する私立の施設である。
施設には海があり森がある。海水浴やカヌー遊びができ、キャンプもできる。
とりわけ親の研修に力を入れているようで、障害の種類ごとに、年間21種類のプログラムがあり、障害の理解、親同士のつながりの構築などを支援する。親が研修を受けている間、子どもはスタッフと遊びに行っているとのこと。
確かに、特別支援学校が無いとすると、学校以外で同じ障害の子どもを持つ親同士のつながりを作ることには大きな意味がある。
5 9月13日(水)
午前はパティレ高等知的障害特別学校という、知的障害の子どもが通う高校を訪問する。
同校のある一角には、図書館やカルチャーセンター、一般の小中学校、高校などの文化的施設が集まっており、特別学校といっても、場所的に社会の一部であることが意識されている。
同校では、生徒は特別学校用のカリキュラムに従って勉強しており、工業、芸術、家庭、車の整備のコースがある。
施設面では、シアターや音楽室、運動場、食堂などは一般の高校と共用しているとのこと。また、生徒によっては、数学、英語、音楽などを一般の高校に学びに行く場合もあるし、教員は両方の学校で教えている先生もいるとのことで、人的な交流が確保されているようだ。
午後はSPSMという国の特別支援教育の担当部署を訪問する。
ここは、国の期間で、自治体、学校、子どもの関係者などから相談を受け、障害のある子どもが学ぶ上での助言を与えたり、申請に基づき国の予算を当てて環境整備を行うなどの業務を担当している。
当地では、原則的に障害のある子どもも一般の学校に通うため、その際に必要となる合理的配慮や環境の整備について、相談を受けて助言を与える機関としてここが作られている。また、SPSMの職員が巡回指導のように一般の学校を回り、点字の指導など、障害のために必要な技術の指導を行っているようである。
障害のある子どもが一般の学校に行くうえで、困ったらすぐに相談でき、一定の予算を持っている国の機関があるというのはとても良い仕組みだと思う。
日本では、障害のある子どもが一般の学校に通う場合、子どもや保護者と学校・教育委員会の間で話をしなければならないが、そこに、専門的な知識と一定の予算を持った第三者が加わることで様々な選択肢が生まれるのではないだろうか。
夕刻、バスターミナルからノルウェイのオスロ行きのバスに乗る。3時間30分でオスロに到着。イェーテボリは、スーツだと暑いくらいだったが、オスロは初冬の寒さである。
6 9月14日(木)
オスロ中央駅から電車でフジェルハマー学校というオスロの近隣自治体にある小学校を訪問する。
オスロでは、時折横断歩道のところに点字ブロックが敷設されている(色は黄色ではなくグレーや茶色など)。しかし駅のホーム端の点字ブロックはなく、ホームドアもない。 これでは、電車を使う視覚障害者は危ないのではないかと心配になる。もっとも、当地ではもしかすると、パーソナルアシスタントの制度が充実していて、視覚障害者が1人で外出することは多くないのかもしれない。
ところで、ノルウェイでは、特別支援学校は1992年に廃止され、障害のある子どもも一般の学校に通う。そして、一般の学校の中で、必要に応じて特別支援学級が設けられている。
今回訪問した小学校には、全校で730人の児童がいるが、障害などがあり個人ごとの合理的配慮を受けている児童は26人いる。そのうちで、バーサという特別支援学級で学ぶ児童は15人とのこと。
バーサというのは、その子にとってのホームベースのような意味だそうだ。小学校の一角が特別学級になっているが、教室数個分というよりは、かなり広いスペースがバーサに割り当てられており、一般の学校の一部に特別支援学校が組み込まれているという感じである。重度障害のある子どものための個室などもあった。
同校の授業の様子を見せてもらったが、教室で先生の話を聞いているクラスもある一方、他にも、廊下でボディーパーカッションでリズムを刻み、それをiPadで撮影している子どもがいたり、音楽の授業でウクレレでディープパープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を演奏していたり、様々な趣向が凝らされている。
障害のある子どもは、それぞれに、個別の支援計画に基づいてサポートを受けつつ、障害のない子どもと同じ学校で学んでいる。それぞれの子どもを尊重したうえで一緒にいる。一緒にいるためにそれぞれの子どもに必要な配慮を提供するという考え方が基本にあるようだ。
7 おわりに
あるノルウェイの行政担当者は、インクルーシブ教育が導入された背景には、社会が多様であることは我々を豊かにしてくれる。誰もが社会の一部であり、誰もがそれぞれの方法で社会に貢献できるのだという考え方があると説明してくれた。
北欧の取り組みも、もちろん上手くいっていることばかりではない。しかし、個人が制度に合わせるのではなく、個人を尊重するために制度があるという北欧の思想は、ともすれば同調圧力のために個人が肩身の狭い思いをしなければならない我が国にも多くの示唆を与えるものだと感じている。