コラム

視覚障害者の移動の自由を守るための「JR駅無人化反対訴訟」が始まった

共生社会の足音

弁護士 大胡田 誠

月刊『視覚障害』2023年3月号掲載

1 はじめに

時として、一つの裁判が社会を変えることがある。

1973年、全盲の上野孝司さんが当時の国鉄山手線高田馬場駅のホームから転落し、電車とホームに挟まれて亡くなった事件を巡って起こされたいわゆる「上野訴訟」もその一つだ。この裁判では、一審で、「国鉄のように大量輸送を目的とする機関にあっては、できるだけ事故の発生防止のための人的物的設備を整備する義務がある」との判決が出され、二審では「国鉄は公共の高速度交通機関であることに鑑み、今後とも視覚障害を有する乗客の安全対策に努力する」という和解が成立した。この裁判が、その後の駅ホームにおける点字ブロックの普及を後押ししたことは間違いない。

しかし、残念ながらその後も視覚障害者の駅ホームからの転落事故は後を絶たない。
国土交通省の調査によれば、2010年から2019年までの10年間、視覚障害者のホーム転落事故の年間平均発生件数は74.7件であり、このうち、列車と接触した事故件数は年間平均2.1件だということだ。

確かに、都市部ではホームドアの整備が進められ、駅ホームの危険性は緩和されつつある。しかしその一方で、主に地方の駅では、そのような設備の整備のないまま駅の無人化がすすめられ、危険性はより一層増している。

2002年3月時点では全国 9514駅のうち無人駅は43.3%にあたる4120駅だったが、20年後の2020年3月時点では、9465駅のうち、無人駅は4564駅と全体の48.2%を占めるまでになり、無人化の流れはコロナ禍の影響による利用客減少などを受けてさらに加速している。

本年2月2日、大分でこのような社会の流れを変えようとする裁判が始まった。大分市内に住む視覚障害者、釘宮好美さんが、JR九州が進めている駅の無人化によって、移動の自由が侵害されたとして、JR九州を相手取って、大分地方裁判所に裁判を起こしたのだ。今回は、この裁判について書いてみたい。

2 提訴に至った思い

この裁判の原告である釘宮さんは、網膜色素変性症のため視野狭窄があり、外出時には盲導犬を使用している。

JR九州は近年、駅の無人化を急速に進めており、2022年3月12日から九州各県において、すでに無人化されていた駅に加え、更に29駅を終日無人化し、48駅については午後の時間帯を無人化した。釘宮さんが利用する大分市のJR日豊本線坂ノ市駅は、午後の時間帯に無人化された駅のうちの一つであった。

釘宮さんは、この無人化によって、利便性の面、安全性の面から日常生活に大きな支障をきたすようになったと主張している。

利便性の面では、例えば、最寄り駅である坂ノ市駅が午後の時間帯無人化となったため、駅窓口で切符を購入することができなくなった。また、電車の遅延情報等やホーム変更等の情報を教えてもらうこともできなくなった。さらに、最寄り駅以外の無人駅については、駅員による介助が必要不可欠であるところ、介助を要請するには前日の午後8時までに予約を取らなければならないので、急な外出は一切できなくなったという。

加えて安全面でも、釘宮さんは全盲ではないとはいえ、天候や体調によっては、よく利用している駅でもホームと電車との間の感覚が掴めなくなり、ホームから転落しそうになることがあるところ、万が一にも転落した場合、無人駅の場合は誰にも対応してもらえないことから、従来のように、いつでも自由に駅利用をすることができなくなったという。

釘宮さんは、駅の無人化によってもたらされたこのような日常生活の制限は、憲法13条の幸福追求権、および22条の居住・移転の自由から導かれる「移動の自由」を侵害するものだと主張する。

さらに、視覚障害者は駅の無人化により、常に危険と隣り合わせで鉄道を利用せざるをえなくなり、結果的に駅の利用を思いとどまらざるを得ない事態が生じている。これは、障害者に対する不当な差別的取り扱いであり、障害者差別解消法にも反するとも主張する。

3 釘宮さんの背中を押したもの

釘宮さんがこのような裁判に踏み切った背景には、昨年12月、大分県津久見市のJR日豊本線津久見駅で発生した事故があった。同駅では、午後3時以降駅員がいなくなるが、その駅員不在の時間帯に、視覚障害のある小島得江さんがホームから転落し、電車にはねられて死亡するという事故が発生したのだ。小島さんは、通常は使用されていないホーム先端部分の立ち入り禁止のエリアに侵入し、線路に転落している。もしも駅員がいれば、立ち入り禁止のエリアに進もうとしている小島さんの動きに気付いて、安全な場所に誘導できたかもしれないし、また、線路に転落したとしても、直ちに引き上げて難を逃れることができたかもしれない。まさに、駅の無人化が持つ危険性が現実のものになった事故であった。

釘宮さんはこの事故を受け、駅の無人化は視覚障害者の命に関わる問題だと痛感し、提訴に踏み切ったという。

4 おわりに

JR九州は、同社の鉄道事業は赤字であり、鉄道網を維持するためには合理化が必要だと主張する。確かにそのような面はあるだろう。しかしその一方で、同社は会社全体としては超優良企業であり、平均して年間130億円程度を株主に配当している。このような企業にあって、視覚障害者の命に係わる問題を無視し、コスト削減のみを進めるというのは、営利を追求するために企業の社会的責任を蔑ろにするものだといわざるを得ないのではないだろうか。
また、合理化を進めるのであれば、まだまだいろいろな工夫の余地もあるように思われる。

ヒントになるのが、JR内房線江見駅の施策だ。構内に郵便局が入り、局員が改札業務といった駅の仕事も請け負っている。街の機能を駅に集約し、列車に乗らずとも駅を使ってもらう「コンパクトシティー」という考え方に基づいているとのことだ。鉄道会社だけでなく、地域ぐるみでもう一度、安心・安全な駅について考えていくことが求められているのではないだろうか。

ところで、中島みゆきさんが作詞・作曲したTOKIOの「宙船(そらふね)」という歌の中にこんな歌詞がある。

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

正直に告白すると、私自身、駅の無人化は困るけれど、「何か言ったって、どうせ変わらないだろうな」という諦めの思いでいた。弁護士からすると、確かにこの裁判は容易に勝訴できない難しい裁判だといわざるを得ない。しかし、提訴に踏み切った釘宮さんの勇気は、これからどのような社会にしていきたいのか、どんな駅を使いたいのかは、私たち自身で考え、声を上げていくことが大切なのだということを改めて私に思い出させてくれた。