安倍首相の「加憲」案を考える
共生社会の足音
1.はじめに
本稿を執筆している時点では、安倍晋三首相は9月28日の臨時国会冒頭にも衆議院を解散し、10月22日投開票を軸に衆議院選挙を予定していると報道されている。
今回の選挙は、争点がなかなかわかりにくいが、新聞各紙は、アベノミクスの継続の是非や、2019年10月の消費税10%への引き上げ時の増収財源の使い道の変更(国の借金返済から教育関係予算の確保へ)などが争点となるとしている。
しかし、私は、今回の選挙の重要な争点の1つは、実は、憲法9条と自衛隊の問題だと考えている。今年5月3日の憲法記念日に、安倍首相が、「2020年までに」という具体的な時期を示し、「憲法9条1項・2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記する」との改憲を提案しているからだ。今回の衆議院選挙で自公を中心とする改憲勢力が3分の2以上を獲得した場合、安倍首相は、この改憲提案が国民にも支持されたとして、一気に憲法改正の国会発議を目指すだろう。
そこで、本稿では、この安倍首相の改憲案(いわゆる「加憲」案)について考えてみたいと思う。
2.政府が説明する現在の自衛隊の憲法上の位置づけ
加憲案の意味を考えるためには、まず、現在、自衛隊は、戦力不保持を規定した憲法9条との関係で、どのように位置づけられているかを理解しておく必要がある。
憲法9条は次のような条文である。
【日本国憲法第9条】
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条2項は、「侵略戦争に用いるための」などの限定なく軍・戦力一般を保持しないとしていることから、この条文は、外国に武力行使を行うための軍・戦力の保持を一切禁じたものだと理解されている。
もっとも、政府は、このような9条2項の解釈を前提としつつ、次のように説明して自衛隊の存在を合憲だとしている。
すなわち、日本国憲法13条は、国に対し、国政の上で、国民の生命や自由に関する権利を最大限尊重することを求めている。外国からの侵略がある場合、政府が何の対応もとらず、国民の生命・自由が蹂躙されるのを放置すれば、国政の上でこれらの権利について「最大の尊重」をしたとは到底言えない。外国からの武力攻撃があった場合に、それを排除するための必要最小限度の武力行使を行うことは、政府が国民の生命・自由等を最大限尊重する義務(憲法13条)を果たすための行為として正当化できるとする。
そして、政府は、憲法9条と13条の関係を踏まえた上で、「憲法9条は憲法13条で正当化される武力行使を行うための実力の保有までも禁じたものとは言い難く、自衛のための必要最小限度の実力は同項に言う『戦力』に該当しない」とし、自衛隊の存在を合憲だと説明している。
説明が回りくどく若干詭弁のにおいがする点、また、現在の自衛隊の装備や規模が「必要最小限度の実力」といえるかどうかの点については疑問の余地がないではないが、私は、これは、憲法9条と13条の緊張関係のぎりぎりのバランスの上に成り立つ、理解できる1つの憲法の解釈論だと考える。
3.安倍首相の「加憲」案をどう考えるか
次に、「憲法9条1項、2項は残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という安倍首相のいわゆる加憲案について、私見を述べたいと思う。
このことについては、「自衛隊の存在を憲法上に位置づけること自体はごく当たり前の行為だ」とか、「憲法9条と自衛隊の一見矛盾した関係を解消するもので望ましい」などという反応があるが、私は安倍首相の加憲案には大きな危険性を感じる。
なぜなら、もしも、仮に提案通りの憲法改正が行われたとすると、自衛隊は、憲法上、これをコントロールする仕組みを一切持たない状態になり、万が一、我が国最強の暴力装置である自衛隊が暴走しそうになったとしても、それを抑えることが不可能になってしまうからだ。
石川健治東大教授(憲法学)は、「憲法で自衛隊に正統性を付与すれば、これまで正統性を剥奪することによって機能してきた9条による権力統制は効かなくなる」と加憲案を批判する。
すなわち、これまでは、憲法9条の存在が、「われわれはこのような形で軍隊を持っていいのだろうか」という不断の問いかけをする根拠となり、「自衛隊そのものが、慎みのある、よくコントロールされた組織として今日に至っている」。「さらに大きいのは、9条2項を根拠に、軍事組織を持つことの正統性が不断に問われ続けてきたこととの関係で、大規模な軍拡予算を組むことが事実上難しくなっているという側面に注目する必要がある」と指摘する。私は、自衛隊が違憲であり、直ちにこれを解体すべきという極端な考えには反対だが、だからと言って、安倍首相の提案する、「憲法9条1項・2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記する」という改憲案にも賛成しない。
もしも、自衛のための必要最小限度の実力として自衛隊を憲法に位置づけるのであれば、あわせて、「内閣総理大臣を最高指揮官とする」とか、任務の遂行に当たっては、「国会の承認その他の統制に服する」などのいわゆるシビリアンコントロール(文民統制)のルールを憲法に書き込むことが不可欠だ。
また、憲法73条の「内閣の権能」に、国務の総理、法律の執行、外交関係の処理、予算の作成などに加えて、国の防衛や自衛隊の統制などを記載し、自衛隊と内閣の上下関係を明らかにする必要もあるだろう。
憲法上、統制の枠組みを明記せずに、自衛隊に憲法上の正統性のみを与えるならば、「統制規範が何もない状態で自衛隊を書き込む最悪の改憲提案」(石川教授)ということになるだろう。
安倍首相の加憲案は、一見すると「現状追認」のように見えるが、実は、今後の国の形を左右する極めて大きな危険性をはらんだものだ。
読者の皆さんには、衆議院選挙の投票日の前に、もう一度、安倍首相の加憲案について、じっくり考えてみていただきたいと思うのである。