コラム

障害者差別解消法の「基本方針」を読む 1

共生社会の足音

弁護士 大胡田 誠

月刊『視覚障害』2015年6月号掲載

1.はじめに

本年2月28日、政府は、障害者差別解消法(以下、「差別解消法」と略する)の内容を具体化する「基本方針」を閣議決定した。

これは、政府が、差別解消法に基づく製作を実施するに当たっての基本的な考え方を示すガイドラインである。障害者に対する差別をなくしていくためにはさまざまな取り組みが必要となるが、その際に法制定の背景が理解されていなかったり、用語の意味がマチマチだったりしては十分な効果が期待できないため、試作を統一的に実行するための全国共通の骨組みが策定されたのである。

「基本方針」では、差別解消法が制定されるまでの背景、対象となる人や分野、差別解消法で定められた不当な差別的取扱いや合理的配慮の考え方などが説明されている。1軒の家を建てる工事にたとえるならば、差別解消法の土台の上に柱がくみ上げられた段階とでもいえるだろうか。

今後は、この「基本方針」に即して、国の各省庁において、公務員向けのガイドラインである「対応要領」と、民間事業者向けのガイドラインである「対応指針」が策定されることになる。これによって、ようやく障害者差別解消という家に壁が塗られ、瓦が葺かれて家ができあがることになる。

2.「基本方針」で示された不当な差別的取り扱いの禁止

差別解消法は、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現することを目的に作られた法律である(1条)。そして、この目的を達成する手段として、国などの行政機関と民間事業者に対し、障害者に対する不当な差別的取扱いを禁止し(7条1項、8条1項)、国などの行政機関には法的義務として、民間事業者には努力義務として、障害者に対し合理的配慮を提供することを求めている(7条2項、8条2項)。「基本方針」では、抽象的で解釈がまちまちになってしまいかねないこれらの概念について、統一的な解釈が示されている。今月は、この2本の柱のうち、障害を理由とする不当な差別的取り扱いの禁止について紹介する。

「基本方針」において、「不当な差別的取り扱い」とは、障害者に対して、正当な理由なく、①障害を理由として、財・サービスや各種機会の提供を拒否すること、②提供に当たって場所・時間帯などを制限すること、③障害者でない者に対しては付さない条件を付けることなどにより、障害者の権利利益を侵害することだとされている。

ここでポイントとなるのが、「正当な理由」というところである。障害者を区別したりサービスの提供を拒否したとしても、その区別や拒否に「正当な理由」があれば、それは、禁止の対象である不当な差別的取り扱いにはならないとされているのである。

そして、「正当な理由」があるといえるのは、客観的に見て目的が正当で、区別や拒否をすることがその目的に照らしてやむを得ないといえる場合であるとされている。すなわち、偏見や思い込みによって障害者を健常者と区別したりサービスの提供を拒否したりすることは法律違反であるが、誰が見ても障害者に対する区別や拒否が正しいといえるような場合にはそのような扱いも許されるということになる。

読者の皆さんの中には、アパートを借りようとして、大家から「目が見えない人には部屋は貸せない」と言われたり、飲食店に入ろうとして「盲導犬は入店できない」と言われた経験をお持ちの方もいるのではないだろうか。

このような区別や拒否の背景には、「視覚障害者がガスレンジなどを使ったら火事を起こすかもしれない」とか、「盲導犬が店に入ったら衛生的に問題があるに違いない」という健常者の側の思い込みがある。実際のところ、視覚障害者は健常者よりも火事を起こす危険性が高いということはないし、盲導犬は、ユーザーが注意して常にケアをしているので、場合によっては人間よりもかえって衛生的なくらいである。

「基本方針」において、差別解消法が施行される来年4月からは、このような思い込みや偏見に基づく障害者の区別や拒否が禁止されることが明らかになったのである。

3.今後の課題

以上はいわば理屈の話である。現実の社会は、いくら法律ができ、ガイドラインが整備されたとしても、すぐに変わることはないだろう。

差別解消法の「基本方針」で、障害者を正当な理由なく区別・拒否することが禁じられることになると書いたが、実際には、健常者も、「障害者を困らせてやろう」などと、悪意から障害者を差別することは少ない。たとえば、「目の見えない人に火を使わせたら危ない」など、彼らなりの価値観を基準に「正当な理由」があると考えて障害者を差別的に取り扱うことがほとんどであろう。

だから、真の共生社会を実現するためには、健常者の持つこのような誤った価値観を変えていかなければならない。そのためには、一見遠回りのようだが、私たちが、日々の生活の中で、これまで、健常者が、差別の「正当な理由」だと思っていたことの多くが、実はほとんど主観的な思い込みに過ぎなかったと気づかせていくほかないのである。それは、差別解消法の施行を待たずとも、私たちが今日からできることである。それは、差別解消法の施行を待たずとも、私たちが今日からできることである。