障害者差別解消法の「基本方針」を読む 2
共生社会の足音
1.はじめに
今月は、前号に引き続き、本年2月28日に閣議決定された障害者差別解消法の「基本方針」について解説したい。
差別解消法では、国や地方公共団体などの行政機関と民間事業者に対し、障害者が求めた場合、これに対応して合理的配慮を提供すべきことを定めている(同法7条2項、8条2項)。
ここにいう合理的配慮とは、障害者の実質的平等を確保するために行なう手助け、施設の改良、補助手段の提供、ルールの変更などであって、その提供が過重な負担とならないものをいう。たとえば、「基本方針」には合理的配慮の例として次のようなものがあげられている。
- 車椅子利用者のために段差に携帯スロープを渡す、高い所に陳列された商品を取って渡すなどの物理的環境への配慮
- 筆談、読み上げ、手話などによるコミュニケーション、分かりやすい表現を使って説明をするなどの意思疎通の配慮
- 障害の特性に応じた休憩時間の調整などのルール・慣行の柔軟な変更
これまで、障害者に対する差別は、「障害者お断り」のように、障害者を意図的に排除する「作為」を意味するものであったが、差別解消法では、これに加えて、公共団体や民間事業者が、障害者が社会に平等に参加するために必要な配慮や手助けを行なわない「不作為」も差別だとされたのである。このことの意味は大変に大きく、合理的配慮について、きちんと理解し、これを使いこなせるかどうかによって、障害者の生活の質は大きく変わってくると思われる。合理的配慮は新しい考え方なので、何となくよさそうだが、まだどうもわかりづらいという方も多いだろう。そこで、本稿では、合理的配慮を理解するために重要なポイントである障害者からの意思の表明および過重な負担について解説する。
2.合理的配慮と障害者からの意思の表明について
合理的配慮という言葉はまだそれほど一般的に使われることはないが、バリアフリーという言葉はすでに日常用語になっていると言っても過言ではないだろう。どちらも障害者が健常者と平等に社会に参加するために社会の側に変更や調整を求めるものであるが、一応別のものである。
一言で言えば、バリアフリーというのは、障害者の求めのあるなしにかかわらず、広く社会全体で行なわれるべき変更や調整のことをいう。例えば、1日の乗降客が3000人以上の駅は、必ずバリアフリーにしなければならないとされている。これは、その駅を使う障害者がいるか、障害者が特別な配慮などを求めているかどうかに関わらず行なわなければならない、いわば最低基準としての社会の義務である。
これに対し、差別解消法に定められた合理的配慮というのは、現にそれを必要とする障害者がいて、その障害者が求めた場合に提供されるサービスや設備の変更である。バリアフリーで最低基準を設けて社会全体の底上げを図り、それで足りないところを個別にカバーするのが合理的配慮ということになる。
ここまでの説明で分かったかもしれないが、合理的配慮を受けるためには、原則的に、配慮を求めたい旨の障害者からの意思表明が必要である。逆に言えば、個々の障害者が求めなければサービスや配慮は受けられないわけである。もっとも、視覚障害者は、例えば、一人で買い物に行き、スーパーなどで手助けを求めたいと思っても、いったい店員がどこにいるのか分からず、手助けの申し出をすること自体が困難な場合が多い。そこで、「基本方針」では、障害者から申し出がない場合にも、一見して手助けが必要なことがわかる場合には、サービスを提供する側が積極的に話しかけることが望ましいとされている。
このように、合理的配慮というのは、障害者と健常者の対話から始まる。合理的配慮を上手に使うためには、障害者は、自分の障害についてきちんと理解し、どのような配慮があれば何ができるのか、自分は何がしたいのかを健常者にもわかりやすく伝える方法を身につける必要があるのである。
3.過重な負担について
差別解消法では、障害者が配慮を求めたとしても、提供する側にとって過重な負担になる場合にはその配慮を行なわなくてもかまわないとされている。そして、過重な負担となるかどうかについて「基本方針」では、事務、事業への影響の程度、費用、負担の程度などの要素を考慮し、総合的客観的に判断されなければならないとされている。
一昨年、ネット上でこんな事件が話題となった。「五体不満足」の著者の乙武洋匡さんが、銀座の「隠れ家風」イタリアンレストランに行ったところ、エレベーターがその店のある2階には停止しないことが分かった。そこで、店員に体を抱え上げてくれるように頼んだがこれを拒否されたという事件である。
ただし、このレストランには、シェフを含めて店員が2人しかおらず、ちょうど週末で店が込み合っていたという事情もあったようだ。
これは、合理的配慮と過重な負担を考える上でとても示唆に富む出来事である。店の側は、乙武さんの求めに応じることは過重な負担であり、サポートの提供拒否は正当であると主張するかもしれない。しかし、人一人を店のある2階に抱え上げることは男性1人か2人で数分で行なえることであり、たとえ店員が2人しかいない込み合った店だったということを考慮したとしても、それが店の営業に大きな支障となるとは考えられず、この場合の配慮は過重な負担とはいえないだろう。
もっとも、あえて言うとすれば、事前に、2階まで上がる際のサポートを申し出ておくなど、乙武さんの側ももう少しだけ対話の努力をする余地があったのかもしれない。
ここから学べるのは、障害者の側も合理的配慮を求める際には対話のチャンネルを広く開いておくべきだということである。合理的配慮は、健常者と障害者がお互いに少しずつ歩み寄って、対話を通じてバリアの乗り越え方を探す営みだからである。