コラム

桜とチーズフォンデュ〜私のジュネーブ訪問記

共生社会の足音

弁護士 大胡田 誠

月刊『視覚障害』2022年12月号掲載

1 はじめに

今年8月、私はJDF(日本障害フォーラム)の代表団とともに、スイスのジュネーブを訪れた。国連障害者委員会による障害者権利条約の対日審査に参加するためだ。ジュネーブはスイスの南西に位置し、人口は約20万人ながらスイス第2の都市だ。緯度は北海道よりも高く、8月下旬でも長袖のシャツでちょうどよいほどの気温だった。

市の中心部には高さ10階から15階ほどの高層ビルが立ち並び、ひっきりなしに車やバイクが走っている(主にドイツ車が多いようだ)。しかし、街の中で音楽が流されることはほとんどなく、歩いていて耳に届くのは車の音と様々な言語で交わされる話し声だ。移民が多いせいか、しばしばカレーや中東系のエスニック料理のにおいが鼻をくすぐる。建物は茶色やアイボリーなどに統一されており、古い美しい町並みだ。歩道はきれいに掃除され、ほとんどゴミなども落ちていない。もっとも、車道と歩道の段差は日本よりもきついようで、車いすでは歩車道の段差を通過する際、かなり衝撃があるようだ。

興味深かったのが、市の中心部の多くの交差点には、日本と同じデザインの黄色の点字ブロックが敷設されていたことだ。また、歩行者用の信号は音響式ではなく、信号のわきにある押しボタンを押すと、押しボタンの箱の底面にある手で触ってわかる矢印型の突起が、青になった際に振動して教えてくれるというスタイルだった。

物価はかねて聞いていたとおり日本よりも相当高く、昼食にツナサンドとコーラを購入すると、8スイスフラン(日本円で1200円程度)、レストランで現地の料理であるチーズフォンデュとサラダを食べたら40フラン(6000円程度)にもなった。

2 日本のプライベート・ブリーフィングについて

8月19日の午後と8月22日の午前、国連ジュネーブ事務局(パレ・デ・ナシオン)の第19会議室において、日本のプライベート・ブリーフィングが行われた。この第19会議室は、パレ・デ・ナシオンで最大の会議室で、横に約40席、縦に12列の座席が半円形に並べられている。半円形の中央部分に締約国から選挙で選ばれた12名の障害者権利委員会の委員が着席している。委員は国籍や人種も様々で、それぞれ学者、法律家、活動家などのバックグラウンドを持っている。

プライベート・ブリーフィングというのは、障害者権利委員会が、審査の対象国の政府との「建設的対話」を行うに先立ち、その国の障害者団体などの市民社会から直接情報提供を受けるもので、政府との建設的対話をより充実させるために行われる。まず、市民社会の代表がプレゼンテーションを行い、それに対して権利委員会が質問をする。そして、質問に対して市民社会が回答するという形式で進められた。

委員会からの質問は多岐にわたったが、委員会は「差別の解消」、「障害者の地域への移行」、「教育」、「司法における手続き的配慮」などに関心が高く、質問の件数は合計40項目以上にも上った。日本の審査にかける委員の熱意を感じるものだった。

プライベート・ブリーフィングでは、本誌の読者の皆さんにもおなじみの田中信明さんが活躍した。田中さんは、委員会から出された各質問について、それぞれ市民社会から誰が回答するのが適切かを考えて事前に関係者の調整を行い、プライベート・ブリーフィング当日は市民社会側の司会を務めたのだ。国際会議における私たちの仲間の堂々とした姿に思わず胸が熱くなった。

3 日本の建設的対話について

8月22日午後と8月23日午前、障害者権利委員会と日本政府の間の建設的対話が行われた。パレ・デ・ナシオン第19会議室の前方に30人ほどの政府代表団が着席し、我々市民社会は後方からやり取りを傍聴した。

建設的対話は、まず、各委員から日本における権利条約への対応状況などについて質問が行われ、これに対して政府代表が答弁を行うという形で進められた。

一部で話題となった、いわゆる「ジュネーブの桜」のやり取りが行われたのがこの建設的対話だ。委員から、障害者の地域移行について質問されたことに対し、政府代表は、「日本の施設は高い壁や塀に囲われてはいない。日本では、春には桜という花が咲くが、障害者施設でもお花見をしたり、時にはピクニックにも出かける」などと答弁した。この答弁は、障害者の地域移行を進めるべきという国際社会の基調の中ではかなり「浮いた」ものであり、会場後方の市民社会側から激しいヤジが飛んだ。

建設的対話の最後に、日本の審査を中心的に行う国別担当者であるキム・ミヨン委員(韓国)からクロージングの発言が行われた。この中では、いくつかの重要な課題が指摘されたので紹介してみよう。
 ・障害者差別解消法の救済手続きが確立されていない
 ・社会全体にインクルージョンや合理的配慮の基盤が整っていない
 ・手話が言語として認知されていない
 ・障害のある女性が直面している問題
 ・パリ原則に基づいた独立した監視システムが存在しない
 ・選択議定書が批准されていない
 ・成年後見制度を利用すると障害者の法的能力が制限される
 ・障害者の性と生殖の権利が制限されている

キム委員は最後に、「障害者の生活が向上し、人権が保障される社会にするためには、政府と市民社会の継続的な対話が必要である」と締めくくった。

4 建設的対話を傍聴して感じたこと

日本政府からの回答は現在の制度の紹介にとどまるか、質問自体をスルーして、問いに正面から答えないものばかりという印象だった。対話を通じて認識を共有し、新たな改善策を作り上げていくという建設的対話の本来の目的に合致したものではないように感じられた。

多くの委員からの質問が集中したのは、施設隔離と分離教育の点だったが、日本政府は、障害者が施設で生活することと特別支援学校で教育を受けることについては、積極的な変更を行うつもりがないと受け取られる答弁を繰り返した。条約が求める水準と、日本政府の意識には大きな隔たりがあるのだということが浮き彫りになった。

視覚障害者についてみれば、政府の回答には以下のような問題があると感じられた。

・現実には、特に地方では、本人や保護者が希望すれば通常学校に進学できる環境が整っているなどということはないにもかかわらず、政府は、障害児は自由に学校を選択できるし、どこでも合理的配慮が十分に提供されるかのような説明をしていたこと

・ホームページのアクセシビリティについて、「JISには強制力がなく、より強い基準を作るつもりがあるか」という質問が出されていたにもかかわらず、政府はこれをスルーして、「障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法」や「みんなの公共サイト運用ガイドライン」といった強制力のない基準を挙げ、これに従ってホームページを整備していきたいという回答しかしていないこと。

・選挙公報については未だ地方選挙では十分な情報保障がなされていないにもかかわらず、あたかもすべての選挙公報が点字や音声で提供されているかのような説明がされていたこと

・災害時の視覚障害者の避難の手段について質問が出されていたにもかかわらず、政府は、余裕をもって避難できるよう、十分な時間を確保して避難指示を出しているという回答しかしていないこと

また、弁護士としては、司法における手続き的配慮についての政府の回答がたいへん気になった。政府は、現行法で障害者の手続き的配慮は十分に保障されているので、新たな規定を設ける予定はないと説明していたが、これは、現状を無視した発言だといわざるを得ない。

現実的には、訴訟関係者に障害がある場合にも裁判所などによる情報保障がされることはほとんどないし、ほかにも、手話通訳などの費用が敗訴者負担とされて裁判所の負担とされていないなど、大きな問題がある。これらを抜本的に改善するためには、各訴訟法に障害者への手続き的配慮についての規定を置く必要があるはずだ。

5 一連の日程を終えて

市民社会からのブリーフィングやロビーイングを通して、各委員に問題意識を十分に持ってもらえたことで、建設的対話では、委員から政府に対し、時間内に答えきれないほど数多くの鋭い質問が出された。これは、今回、日本の市民社会がジュネーブを訪問し、積極的に委員への働きかけを行ったことの成果だったといえる。

よく市民運動について、「Think Globally、 Act Locally(地球規模で考え、足元から行動せよ)」ということが言われる。国連による対日審査を通じて見えてきた日本の課題を具体的にどう解決するのか、改めてこの言葉を胸に、目を逸らさず向き合っていきたいと思っている。